自分で全部やったの?2010年10月26日

店のパンを盗めば罪人だが人の対価を盗んでも金持ちとなることはあっても、罪人にはならない。

例えば、石油ではどうなんだ、需要が多ければ価格は上がり利益はおおきくなる、石油生産に携わるひとだけの対価として得る独立した利益であって、他の人とは無関係か?

コーヒー豆は各地域のの労働を介しての生活の負担の対価が価格になる、又は封じ込められている。
流通の各過程で各文化圏での生活費がその力関係の中で対価として埋め込まれていく。

ブランド物のように数ある商品の中から、選ばれることで高い利益を得るような商品はそれに加え人の評価により余分の地益を得られる、その商品を買えない人の評価が余分な利益を支えている。

観光や、住宅産業はその環境を作った、又は維持している人々よりもそれを見つけ利益に結びつける人の利益となっているもちろん、結びつける労力はかけているのだが。

テーマパークは一から作り、運営する人に利益が行くように見えるが、楽しさのもとであるその夢はテーマパークができる前からたくさんの人びとが生活の中でもっているものを具体化したものである。
あらかじめ文化的な関連の全くない物は楽しくもおもしろくもないものである。
その楽しさを評価し語り合えるのは楽しみをわかちあえる社会により支えられている。

さてここではじめの石油に戻ると石油は消費される量はさまざまな経済活動の中できまる、つまり需要が価格を決めるとすると人の生活全体がやはり利益を決めている。
やっぱり直接利益に関係ない人全体が石油に関わる特定の利益に寄与しているのだ。

対価の不平等(文化に対する経済原理の不正)は社会全体を脆弱にし経済的な競争力も劣化させる、たぶん。