何を描こうと考えること ― 2024年05月13日

何をどう描こうと考えてもいいものは描けない。
自分の考えたことなどつまらない個人的な好み、一人の勝手な思いつきでしかない。
つまり誰にも共有されない。
出さないで置こうとしても出てこざるを得ないもの、本人の意思に関わりなく出てくるものがある。
個人のものではなく社会の中で生きてきた中で本人の意識と関わりなく自分をつくっているものがなぜか出てくる。
つまり個人としての感覚はただ一人の特殊なもので他人に訴えるのは難しいが無意識にでてくるものは誰もが持つ社会が醸成した感覚であることが多い。
出さないで置こうとしても出てこざるを得ないもの、本人の意思に関わりなく出てくるものがある。
個人のものではなく社会の中で生きてきた中で本人の意識と関わりなく自分をつくっているものがなぜか出てくる。
つまり個人としての感覚はただ一人の特殊なもので他人に訴えるのは難しいが無意識にでてくるものは誰もが持つ社会が醸成した感覚であることが多い。
それは社会がつくったのだから当然共有感覚になる。
人はそれだけ共通な肉体およびその社会構造からうまれる精神構造がを持っているのだから。
人はそれだけ共通な肉体およびその社会構造からうまれる精神構造がを持っているのだから。
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