何を描こうと考えること2024年05月13日

オシドリ
何をどう描こうと考えてもいいものは描けない。

自分の考えたことなどつまらない個人的な好み、一人の勝手な思いつきでしかない。
つまり誰にも共有されない。
出さないで置こうとしても出てこざるを得ないもの、本人の意思に関わりなく出てくるものがある。
個人のものではなく社会の中で生きてきた中で本人の意識と関わりなく自分をつくっているものがなぜか出てくる。
つまり個人としての感覚はただ一人の特殊なもので他人に訴えるのは難しいが無意識にでてくるものは誰もが持つ社会が醸成した感覚であることが多い。
それは社会がつくったのだから当然共有感覚になる。
人はそれだけ共通な肉体およびその社会構造からうまれる精神構造がを持っているのだから。


モーツアルトと話す2015年10月12日

クラシック音楽といえばモーツアルトを思い浮かべるという人は多い。
だからモーツアルトの音楽が消えるというのはいかにもわざとらしく聞こえるかもしれない。

でもそんな瞬間が確かにある。
モーツアルトを聞いている、聞いているつもりだったのがふと音楽を聴いていることは忘れて二人で話しているような気持ちになることがある。
話をしていると言っても具体的な言葉が聞こえている訳はなくて、ただああそうだね、そうだったんだというような親友との意味もない馬鹿話の後に残るような暖かく、しかし寂しさを含んだ余韻だけ。
どうしたことだろうと思っていたら遠山一行氏の著述のなかではエクスでのフィガロの結婚を見た感激がこう表現されていた。

「私はその時に、音楽というようなものは本当はどこにもありはしないのだ、あるのは、ひとりびとりの音楽家のメッセージの真実さだけだ、ということを感じた。」注(1)
更におなじ体験を後に「新潮2002年十一月号--モーツアルトをめぐる十二章」ではこう記している。
「それはただすばらしい音楽を聴いたというだけではない。
むしろ音楽というものでさえなく、一人の人間の自由な声があるのだと思った。」
そう音楽でなくなる、音楽が透明になって消えてしまい残るのは作曲家の声だけ。

ここにはコミュニケーションと思想、芸術の基本的な関係が顕れているのではないだろうか。
ここでいうコミュニケーションとは特定の条件、枠での具体的な行動を促すことの要求の伝達という実利的な意味でのコミュニケーションのことではない。
本来的に群れで生きる種として変化してきた人類が精神的に他人の存在を我が身に不可欠な存在として自分の中に取り込む(自分個人の外に広がる自分自身の確保、確認ための)コミュニケーションの方法としての問題である。
集団で生きると言っても人はまったく個として独立して離れ離れに生まれ生活する。

生き物として神経も筋肉も血管も繋がっていない他人とどうコミュニケーションがとれるだろう。
普段同じような様式で生活しておれば共通の楽しみ、苦労、怒り等々のなかで共通の行動を観察することで意識されることもなくコミュニケーションはきっと成立していたであろう。

生物学的に同じような肉体を持っていれば風雨にさらされる辛さや空腹時に食物を得た喜び、硬いものに当たった時の痛さなど他人の感覚は自分の感覚として容易に共有できる。
人どころか犬や猫でも少しはコミュニケーションは可能かもしれない。
しかし他部族間同士、あるいは人口が増え、生産量が増え活動範囲が広がり生活体験の差が大きい人とも接するようになるとこのコミュニケーションは断ち切れてしまい新たな手段が求められるようになる。
どんな方法でコミュニケーションをとたらいいのだろう。

ここでも人類は道具を発明した。
まづ人類として共通体験の延長。
価値のある衣食住に必要な交換可能な品物、先ではお金のような経済的な道具にまで展開していき最強のコミュニケーションに発展したのかもしれない。

人はその拡大した脳の働きに見合った複雑な感情を持ったせいでコミュニケーションにも複雑な情報を伝え得ることが要求されることになった。
その手段又は道具として精神的な秩序の要求に発する正義や真実を軸と考える宗教や論理である。
また人間の肉体の共通性に基礎を発するスポーツや音楽、絵画彫刻などのいわゆる造形、演劇であろう。
音階やリズム、音色による音楽もその過程の中でうまれたのだろう。
そこでは音楽は特に楽器や歌にのってひろく楽しまれた。
しかし元々の目的は音の楽しみではなく、人とのコミュニケーションへの要求から始まったのだ。

音楽自身はコミュニケーションの道具であって目的ではなかった。
モーツアルトのファンが世界にたくさんおり、誰もがモーツアルトを論じたくなり、著作も数えきれないのは理由があるのである。

道具又は副産物としての音楽をすばやく通り過ぎて人どおしの本来のコミュニケーション、作者との直接ふれあったような感覚。
ここにモーツアルトが他の音楽家と違い、曲の詩情、伝わる高揚感・思想や、生き方ではなく、特に人として愛される理由が有るのではないだろうか。

他人と自分とコミュニケーション2013年09月17日

他人がみたものと自分が見た物は元々は差がなかったのかもしれない。
群れの中の一頭の鹿が危険を見つけて逃げると群れの他のしかも一斉に逃げ始める。
一頭が捕まっても痛みはない。群れであって肉体的に繫がっていないのだから当然であるが更にその個体にも痛みを感じる感情は無いのではないか。
つまり個と群れの差がないとき感情もない。
痛みの感情は個と群れ(他)が別になった時のコミュニケーションの必要性から生まれた機能ではないか。
つまり、もともと自分が見た物と他人が見た物の区別はなく、感情表現を介して伝わる過程で自分の痛み、体験と自分が得た情報としての痛み、経験を区別するようになり、自分と他人が分けられるようになったのではないか。
楽しさ、快楽、憩いの感覚もそんななかで意識されるようになったのではないか。
コミュニケーションの進化は社会の構成に変化を与え、結果として大きく広く拡がり強くなる。
社会の構成の進化の過程で顕れた成果の差異、評価が意識され始めた。
個人が所有と関連づけての体験が他人の体験と自分の体験を強く区別する習慣がついたのではないか。
個体の識別意識は消費の増大と表裏一体に異常に肥大し続け近代ができあがった。
今で言う「自己と他人」ができあがった。
人はすっかり変わってしまったのだろうか?。
でもすばらしい過去の庭園を見るたびに変わっていないと強く意識される。
やっぱり長い人の歴史から考えるとほんの短い間でしかない、つまり小さい変化ではないかとも思う。
近代的でない自己と他人」の関係、基礎となって生きている「自己と他人」があるような気がする。
それが時代の「小さな」変化に影響されない場のデザインに繫がるような気がします。
夏の稔り



新しい紙に絵を描く2013年09月11日

まず線を引こう
始めに鉛筆を選び新を研ぎ。先を紙にこすって丸め
紙に鉛筆をおろし線を引く。
紙の表面と鉛筆の芯の摩擦に心はふるえ始める。
手の感覚は紙と鉛筆のふれあいに驚き、うなずき、唇をしかめながら次に進む。
決めるのは手 私の心ははらはらとした緊張に耳を澄ますだけ。
はりさけそうなふるえの中で一枚の紙を線がはしり、あるとき線が止まる。
これでいい。
手が私に伝える。
私は鉛筆を置き、ため息をつく。
そしてまた鉛筆をとり、芯を研ぐ
odoroki

線を引くにしろ色を塗るにしろ絵が描けるのは私の後ろで誰かが手を延ばして書いているような気がした。
操り人形のように。
だからデッサンの練習とか色の塗り方の勉強など必要ないと想っていた。
でも実際には感動させられる作品はデッサンがめまいがするほどしっかりしていて色も想像できないほど工夫されていることが不思議だった。
でも最近になってやっとそのわけがすこし分かったような気がします。
機械的ないわば体育会的な練習と繰り返しの中で「手」に技術がやどり、人に伝わる線が「手」からうみだされる、身につくということばそのままですね。
気がつくのが大変遅かったですが他の人はとっくに気がついてたのだろうな。
こころはそのままで尊いものだけれど手は私と周りの社会、その時代の文化の橋渡しをする役割だから周りにあわせて訓練するとどんどん力が強くなる。
表現の幅を拡げ、強くひとに訴えるにはやっぱり努力が必要なんだ。
そんな苦労に耐えられるかな?



三人寄れば文殊の知恵2012年07月27日

大阪万国博覧会や東京オリンピックといった国を挙げてという様な事業で名前が出てくる亀倉雄策と丹下健三、岡本太郎の三人。
丹下によるとこの三人が討論すると丁度みつどもえになったという。
丹下は亀倉にはやりこめられ、岡本は亀倉をこてんぱにいい岡本は丹下にはおとなしかったという。
おのおのの違いが典型的で興味深い。

亀倉のデザイン作業は創造的な種の整理整頓、つまり秩序、本来的に余分のそぎおとし。
結果的に常にはみ出したエネルギーはそがれおとなしくなる。
情報量は少なくなることで鮮明になるようをひたすら操作する。
グラフィックデザインは基本的にコントロール可能なスケールでの作業である。

丹下の建築はスケールと構造を持ち人間に対するインパクトは自然にわきでてくる。
積極的に利用するにしろやりすごし気がつかないようにするにしろ
そのコントロールにデザイン作業を使い結果的に折り合いをつけたことにする。
インパクトは変化しつつ残るがデザインの一貫性も不完全となる。

岡本の造形は秩序や隠蔽の破壊によるインパクトの表出作業であり、スケールや構造は表現要素の一部であるが、実際の表現に当たってはその物理的なコントロールが必然となり技術的な限界と戦わねばならない。
その技術を持つ建築家はは現実的に見方につけておきたい存在である。
情報は雑然としているかもしれないが、とにかく意図したい方向に強いことが重要である。

三人寄れば文殊の知恵ともいいますが確かにお互いがぶつかりあうと豊かな結果が期待できたようです。
空気を読むだけでは仕事は早く進んでも三人の知恵が一人の知恵に及ばないのは明らかで結果は推して知るべし。