空間そして建築と言葉 ― 2011年03月22日

建築にことばが足らない、過去に日本では建築に対する言葉がなかったことを指摘している、さすがの識見というべきであるというべきであろう。
ウィキペディアによると「言葉は、概念を示す手段」ということである。
これは概念が受け手に共有されていることが前提である。
そうでない場合、当然ながら言葉として伝えることはできない。
意識的か無意識かに関わらず、既存の言葉に独自の概念を勝手に含めてつかわれることもあるが、受け手にも気づかれないことがままある。
ある概念に既にある言葉で示すという手法は間違った情報を伝えるということになり、意図的であれば言葉による詐欺ともいうべきものであり、わかりにくさ、難しさの主な原因の一つである。
新しい概念は注意深く社会での体験を積み重ね言葉に対応させるか、あるいは言葉だけではなく数式か、図表か適当な手段を駆使し概念を人の生活の中に浸透させ、現実化させねばならない。
生活の中で生き残らない言葉は言葉としての機能を失い消え去るのみである。
数学では概念と言葉(記号)が静的に定義されているのに対し、言葉では概念は人の生活の中で動的に変化しつつ、しかし核心的な部分は文化として共有化されて定義されている。
共有化されていない言葉はその役割である概念の伝達機能をはたせづ、読み取ろうとする情報の受け取り側に不毛な謎のみを届けることになる。
今はほとんど読まないので現状は知らないが過去の建築雑誌の中身の不思議な言葉の羅列が何も生まなかったことは必然の結果であろう。
ある概念に既にある言葉で示すという手法は間違った情報を伝えるということになり、意図的であれば言葉による詐欺ともいうべきものであり、わかりにくさ、難しさの主な原因の一つである。
新しい概念は注意深く社会での体験を積み重ね言葉に対応させるか、あるいは言葉だけではなく数式か、図表か適当な手段を駆使し概念を人の生活の中に浸透させ、現実化させねばならない。
生活の中で生き残らない言葉は言葉としての機能を失い消え去るのみである。
数学では概念と言葉(記号)が静的に定義されているのに対し、言葉では概念は人の生活の中で動的に変化しつつ、しかし核心的な部分は文化として共有化されて定義されている。
共有化されていない言葉はその役割である概念の伝達機能をはたせづ、読み取ろうとする情報の受け取り側に不毛な謎のみを届けることになる。
今はほとんど読まないので現状は知らないが過去の建築雑誌の中身の不思議な言葉の羅列が何も生まなかったことは必然の結果であろう。
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